子供のころからの友達の父親が亡くなり、その前夜式に出かけてきた。キリスト教の故人が偲ばれる厳かな式だった。
我が家は両親ともまだ割と元気ではあるものの、親がいなくなる日がそう遠からず来るであろうことは心の隅の意識としてあり、ただ、そこに目を向けないように日々を過ごしてしまっている。
幼馴染で近所に住んでるといっても最近会って話をすることもなかった友達と顔を合わせて、いったいどんな言葉を掛けてよいのかわからず、式が終わったら、そそくさと会場を後にしてしまった。
何だか、自分がいろんなことから逃げているような気がして残念なような、申し訳ないような、そんなことを思ってしまった。「教会」という祈りの場所の持つ力が、そんなことを思わせたのだろうか。生きている自分が、生きていることに感謝し、日々を大切にしたい。